2010年9月24日金曜日

高学歴高収入で悪いか

10年来つき合いのある友人とケンカした。
きっかけはちょっとした行き違いだったのだが、これまでお互いに感じていた不満が次々噴出して、何だかもう取り繕えなくなってしまった。

もともとピリッと毒舌な人だけど、こすっからいところがなくサバサバしているので、一緒にいて面白かった。共通の趣味も多いし、話題もつきない。いろんな催しや山だの海だの、よく遠出もした。


でもだんだん、毒舌では済まない言葉が出てくるようになってきた。

私とほとんど目を合わさず、ひとりごとのようにのべつまくなくしゃべるかと思うと、ぶすっと黙り込むことも多くなった。
たまに私が話そうとすると、「あ、私、それ知らないし」「それ、興味ないから」と冒頭の2、3言葉でシャットアウト。
かなり細々したことまで、私の生活全般を批判するようになった。
まあ、実際、誉められるような生活はしていないので、いちいちごもっともと傾聴していた。
何せ彼女はロハスでオルタネィティブでオーガニックな生活を実践しているのである。コンビニおにぎりで一日2食をまかなう私に太刀打ちできるわけが無い。

そのうち、私が臭いといい始めた。
私の家が臭い、服が臭い、私が臭い。
私を乗せると彼女の車に匂いがしみつく、とまで言われた。

(後日、車の異臭の原因は、彼女の叔母が放置した食べガラのせいと判明した)

集合住宅の貯水タンクってカラスだのネズミだのの死骸が浮いてそう。そんなとこの水、私、飲みたくない。
今度留守番を頼まれたら、帰ってくるまでに室内の植物の鉢を全部処分してやる。あんなカビの胞子だらけの塊り。よくあんなとこで寝ていられるね。
猫はよそでかわいがる分にはいいんだけどね、でもあいつら所詮、肉食動物でしょう。

最後に彼女に留守を預かってもらった時、(植木は無事だったが)猫の1匹がベランダから落下して死んだ。
それは別に彼女のせいではない。マンションに閉じ込めている猫が自由に日向ぼっこしたり猫草を食べたりできるように、ガラス戸を開け放して出入りできるようにしていたのだ。
そのチビ猫は親分の真似をして、ベランダの縁によじ登る練習をしていた。うっかり足を踏み外したのかもしれないし、ここらを縄張りにしているカラスが突付きに来たのかもしれない。だから仕方が無い。

でもそのことについて、彼女は「猫のくせにベランダから落ちたぐらいで死ぬの」と言ったのだ。
「だってビルのてっぺんから落ちてもくるっと身体をねじって地面に下りるものじゃないの」
でも落ちた高さが高さだったし、真下にあったボードで腰を打って腰骨が折れてたそうだし、と私が言っても、「だって猫でしょ。猫のくせに」とかなり長いこと繰り返していた。

その時は、むしろ私は自責の念とまだ猫を失った傷が生々しかったので、何も言い返さずさりげなく話題を変えたのである。


そうこうしているうちに、2人でちょっとした団体行事に参加することになった。
数日続く行事の間、彼女は1回も私と目を合わせなかったばかりか、私がちょっとあいさつしようと近寄ると、わざと視線を交わして他に用事があるかのように駆け去ることが数度。
気のせいかな、とは思えないほど露骨だった。

これまでも、私のその団体の中での位置づけについて彼女から苦言を呈されたことがよくあった。
私に対する不満や疑問が、彼女のところに行くこともあったらしい。
だから、私と知り合いと思われたくないのかな、と理解して距離を保つことにした。

彼女以外にも知り合いは多いし、もともと団体の中で誰かとべったり行動するのは苦手な方だから、それはそれで別にかまわなかった。

ところが行事が終わって数日後、彼女からメールが来た。
彼女の新しい職場に遊びに来ないか、と誘う内容。しかしもちろん有料の場所なのである。
とりあえず新しい仕事についてよかったねえ、と返事してそのサービスも魅力的だと励ました。

するとすぐ折り返しメールが来て、「いつ来る? 何時に来る?」と催促するような文面だった。

それで、私の中の何かが切れた。

”どんな扱いをしてもへらへら笑って、ほいほいお金をバラ撒きに行くと思わないで”というようなことを言ったと思う。


で、結局、彼女が言うには、行事のとき私を無視した件は全くの誤解。彼女も具合が悪かったから、気が回らなかったかもしれない、ということらしい。

私への反感については、私が彼女のお父さんの同業者でそこそこ社会的地位の高い仕事をしていることに対して、また自分の稼ぎで独立して暮らしていることに対して、僻んで八つ当たりしたかもしれない、と認めた。


たぶん一番やっかいな問題は、お金がからんでいることだろう。
かなり長い間、私は彼女に雑用を手伝ってもらってバイト料を払っていた。
怪しい学生さんに頼むよりは安心だし、いろいろ融通も利く。だから相場のバイト料をお礼に上げていた。
彼女の方から、職を失って困窮しているから、何かさせて欲しいと頼んできたこともある。
だから、ムリヤリ雑用を押し付けているつもりはなかった。相応の対価を支払っているのだし。

このご時世でなかなか安定した仕事が見つからないので、彼女はよく職を変えなければならなかった。
お店が変わる度に、私は応援の気持ちもあって毎回かなり高価な商品を彼女の成績になるように買っていた。
まあ、でももともと必要があって買ったものではないので、買ってもほとんど使わなかった。
押し売りされたわけでもないのだから、私もムリに買わなければよかったのだ。

聡明な人だから、きっと私からお給料を受け取る度に自尊心が傷つけられていたのだろう。
でも私だって、彼女が手伝ってくれてものすごく助かったのである。
働いた労働に対して正当な対価を支払っているのに、それで反感をもたれるなんて割りに合わない。

私の中にも、お金を払って”あげてる”気持ちがあったのかもしれない。
その優位性とバランスを取るために、どんな悪口を投げつけられても聞き流して言い返したりしなかった。

そういう齟齬がだんだんそれぞれの中で育っていったのだと思う。

何度目かのメールのやり取りの返事に彼女が『分もわきまえず失礼いたしました』と書いて来た。
彼女は私といる時、ずっとそんな風に距離や格差を感じていたのだ。そのことに私は全然気づかなかった。
私はこの土地ではヨソ者だ。3代ここに根付いていて、どこに行っても〇〇のお嬢さんと顔が利く彼女がうらやましくて、教わることばかりだった。彼女を通じて、私はこの土地をいろんな角度で見ることができるようになったのだ。
でもそういう私の気持ちは伝わっていなかったらしい。


こういう理不尽な反感は初めてではない。
子供の頃からむしろ慣れっこだ。
小学校でも中学校でも、先頭切って子分を引き連れて私をイジメたのは、成績もけっこういい美少女だった。私がどんなにイジメられても、お友達が欲しくてへらへらその集団について行った。まあ、それが余計にムカついたのかもしれない。
もともと本を読むのも授業も面白かったし、興味を持てば大人の本でも読んでいたし、中学校までは特に塾など行かなくてもそこそこいい成績が取れた。
でも別に天才児でも何でもないし、秀才になりたいとも思っていなかった。マジメに受験勉強などせずに好きな本しか読まないので、高校、大学と留年ギリギリの落第生だったのである。
中学校までビクビクしていたので、そういう落第生の生活は安心だった。

だから、自分の学歴のことで、こんなにも反感をもたれるのだとちょっと忘れていたのかもしれない。

でも別に私は何もズルしたわけではない。
親がエライ人だったわけでも、家が金持ちだったわけでもなく、予備校も特待制度のおかげで行けたようなものだし、大学院は奨学金で行った。
人より余分に10年、寝ずに勉強したのだ。もちろん好きなことをやったのだから、恨む筋合いはない。恩師にも恵まれた。最高の環境で勉強できた。

でもこの学位と評価は自分でもがんばった分、正当に勝ち取ったものだと思っている。
学費の高い大学にわざわざ行って、講義もろくに出ずに学生生活を満喫した人に僻まれる理由はない。
確かにお給料のいい仕事だけど、その分の苦労も多い。
私などより、配偶者もあって、上司とぶつかる度に職を変える彼女の方がよっぽど恵まれた人生ではないか。



さて、私は彼女と仲直りすべきなのだろうか。
行事の時に無視したことは誤解ということで、私の言いがかりだと謝った。
猫が死んだときの無神経な言葉に深く傷ついたということは伝えた。
彼女の毒舌に傷ついていたことも。

私をイジメた美少女に、ひとことも言い返さずへらへらついて行ったように、ここでも私が折れるべきなのだろうか。
でも言いたいことを言い合って、すっきりした部分もある。

今まで私は、ガマンしてガマンして、不満を一切相手に見せず、いきなり爆発、即破局というのを繰り返してきた。

ここで好き放題言い合ってさっぱり仲直りしたら、人生の新しい場面に行ける気もする。

まあ、多分に彼女次第だと思うが。



*

2009年12月1日火曜日

上を向いて歩こう

先々月、口が開かなくなった。
バナナが一口で食べられない。
ご飯を5、6粒つまんでも箸の太さが加算されると口に入らない。

心当たりはある。
6年前にも開かなくなって歯医者に行った。
抜歯してブリッジにしたところが、噛み合わせがずれてきて口が開かなくなったのだ。
歯医者さんが上の歯をちょちょいと削ってくれたら、魔法のように口が開いた。

ところがその後、そのブリッジがはずれてしまった。
その歯医者さんは腕はとてもいいのだが、予約時間に厳しいのである。
予約したけど、調子が悪くて行けないことが何度か続き、大きな声でどなられたので、
億劫でそのまま放ったらかしにすること6年。

さぞかし噛み合わせがずれまくっていることだろう。
口が開かなくて歯磨きがきちんとできないせいか、奥歯が痛み出した。

歩く一歩ごとにずくん、ずくん、と響く。
痛くてよく眠れない。
仕方なく、しかられるのを覚悟で歯医者に行く。


案の定、取れたときすぐ来てくれればこんなことにならなかったのに。
また型を取り直して、ブリッジも作り直しで、時間とお金が大分かかるよ。
だから、さっさと来ればよかったのに。
・・・・・・と、ねちねち何度も何度も言われた。
まあ、仕方ない。

当たり前だが、口が開かないと治療できないのである。
口が開いても、炎症がひどいとやはり治療できない。
それから週に2度通っては「ううん、まだムリだねえ」と言われて抗生物質をもらい、
だからすぐ来ていれば・・・・・・どうしてさっさと来なかったの? と小言を言われる。

その度に、アンタガ ソウイウ セイカク ダカラダヨ.
コッチハ リコンシテ パワハラ ジョウシニ イビラレテ
クビククル スンゼンデ ハナンカ カマッテラレナカッタンダヨ.
トイウカ イエヲ デルコトモ マンゾクニ デキナイノニ 
ハイシャ ナンカ コレルモンカヨ.
・・・・・・と頭の中で怒鳴り返したが、相手のドリルだかピンセットだかがノドにあるので、
神妙な顔でうなづくのみ。


半月経ってようやくまともに奥歯までのぞくことができるようになり、痛みの原因がわかる。
親知らずの周辺が膿んでいたのだ。
「でも、ヘンだねえ。きれいに歯全体が歯茎から出ているし、普通、この状態なら膿んだりしないよ」

……そう言われても。
「よっぽど疲れているか、ストレス貯まってるかで免疫が落ちてるんだよ」
……と言われても心当たりないけど。
「とにかく野菜をたくさん食べて、よく寝て、のんびりしなさい」
……そんなの歯医者の処方箋じゃないだろう。

というわけで1ヶ月通っても、何も実質的な治療が始まらない。
とにかく、歯茎の炎症が治まった時点でブリッジを直してもらった。


年に2度ほど、別に外傷が無いのに足のつけねが腫れあがったり、そのせいで歩けなくなったり、
あるいは耳の下や脇の下に大きなゴリゴリができて痛んだりする。
そういう時に血液検査を受けると白血球数がとんでもないことになっている。

そういうときも、「疲れてるんですね。免疫が落ちてるんですよ」と診断される。
まあ、確かに運動不足で食生活が崩れてるかもしれないが。


歯医者さんに「歯ギシリとかしませんか」と聞かれた。
「さあ。寝ているときしているならともかく、自覚はないし家族に指摘されたことはありません」
「けっこういるんですよ。ほら、”歯をくいしばってがんばる”って言うでしょう。
負荷がかかってると歯にも負担かかって噛み合わせがおかしくなってくるんです。
ふんばる時は別の方法でやってね」


その時は自覚が無いと答えたけれど、最近、ときどき歯をくいしばっている自分に気がついた。
泣きそうなときだ。
何かで弟のことを思い出して鼻の奥がツンとしたとき、思わず歯をくいしばってしまう。

3年経ったのに。
むしろ1周忌の頃より涙がこぼれそうになる頻度が増えた。
たぶん、油断しているからだと思う。
本を読んでいて、風景を眺めていて、TVを見ていて。
不意打ちをくらうのだ。

私でさえこうだから、母はいかばかりだろう。

私が生まれる前に亡くなった兄について、その看病をしながらいかにつらかったか、
いかに父が非協力的だったか、いかに自分が献身的にがんばったか。
2人でいると母は唐突に話し始めて、何時間も終わらない。

正直、私は苦痛だった。
その思い出を共有すべきなのは父であって、そのときの無念を私にぶつけられても、
私には何もできない。

今も弟のことについて、突然堰を切ったように話し始める。
私は何度も、看病の最中、母に八つ当たりされたり、愚痴をぶつけられたので、
母がいつその話を始めるかとびくびくしている。

「あんたなんかより、私の方が10倍も悲しいのよ」

八つ当たりとわかっていてもショックだ。

「何もわかっていないくせに」

病気の性質、治療の原理などを理解できないのは母の方なのだが、仕方ない。
私が ”わかっていない”のは、『母がいかに苦しんでいるか』なのだろう。

でも、いつも思っていた。
母は自分ばかり憐れんで、死んだ本人よりも自分の気持ちにかまけていると。
まるで、他の人間には悲しむ権利もないようだ。
それでも、やはりお腹を痛めた子供に先立たれるのは、身を切られるつらさなのだとは私にもわかる。


そう言われても、私だって弟との2人だけの思い出がたくさんあって、思い出す度に寂しい。
でもそう言っても母に否定されるから、こっそり歯をくいしばる。

そうすると歯医者さんにしかられるから……上を向いて歩こう。
晴れていれば星が、曇っていれば雪がまたたいて、気を紛らわせてくれるから。

2009年11月25日水曜日

優秀すぎるヒートテック

10数年前はひどい冷え症だったのに、逆のようだがこの北国に来てから寒さ知らずである。
いつも手と足の先がぽかぽかして、冬でも布団からつま先を出して寝ている。

そのことを整骨院の先生に言ったら、「それは冷え症が治ったんじゃなくて進行したんですよ」と診断された。
いはゆる冷えのぼせ状態でぽかぽかしているのだそうだ。

本人は寒くないから便利でいいのだけど、例えばリンパだとか血液だとかの循環は前より悪くなっているらしい。
困ったものだ。ますます痩せにくい身体になってしまった。

それはともかく、手足だけじゃなく身体ものぼせやすくなった。
背中や胸に寝汗をかいて、明け方に目を覚ましたりする。

以前はハイネックのざっくりしたセーターばかり着ていたのに、今は用無しだ。

というわけでヒートテックも用心してU字首の半袖にした。
にもかかわらず。

来週には12月だというのにあせもができてしまった。
そこまで温かくなくていいぞ、ユニクロ。
ここでこんなに暑く感じるなら、日本のほとんどのところで暑すぎるのではないだろうか?

ここより南は気温が高いし、ここより寒冷な土地では暖房がもっと強いわけだから。

屋外で長時間過ごすときいいかなと思ったのだが、10分も歩くと汗だく。
コートを脱いで、袖をまくりあげて、顔をパタパタ扇ぎながら歩く羽目になる。

というわけで今のところ優秀すぎて困っています。
これからもっと寒くなる季節に期待です。

涙腺故障中

秋だから?
それともウツ症状?
あるいは更年期障害?

何でもないことでじわあ~っと来てしまう。

かわいそうな子供が出てくる映画は極力見ないようにしている。
ところが別にかわいそうな場面じゃないのに不意討ちでやられる。

例えばハイジがピッチを追いかけて野原を笑いながら走ってるだけなのにぽろっと来る。
農園ゲームでまん丸に点2つで目をつけたような単純な形のひよこがぽよぽよ歩いているだけで鼻の奥がじわっとする。
困ったものだ。

泣くのは精神衛生上いいそうだけど。
別にひよこやハイジでカタルシスが得られるなら簡単でいい。

でも気を済ませたくないようなことで、涙をこぼして片付けたくない。
肝心なことで終わった気持ちにならないように、時々、こっそりひよこを育てて泣いておくのも手かもしれない。

2009年9月17日木曜日

異邦人のひとりごと(その2)

この土地に来て篠笛を吹くようになった。
祭り囃子、お神楽などの団体にいくつか混じって参加させていただいている。

そういう団体は、まだ圧倒的に男性が多い。
もともと神事に関わることなので、ピアノの習い事と位置づけが違うようだ。

祭り囃子だと男女半々ぐらいだが、そういう場所の女子は〇〇さんの娘だったり〇〇くんのお母さんだったり、あるいは職場の団体として参加している場合がほとんどだ。
つまり、個人で、自分が自分自身を代表して、ぽっと参加しているわけじゃない。
立場を保証された女子。

そうでない女子は立場を弁えて行動しないと、男性からも女性からも反感を買うことになる。

私は他所から来て、しかも女性で、自分の仕事で経済的に独立しているという意味で三重に異邦人なのだと思う。
このコミュニティの平和を乱すもの。

マレビトはマレビトとして、饗応を受け、この土地を祝福して去っていかなくてはいけない。

このムラの一員になれないのなら、せめて宣教師にならず、博物学者としてすべてに興味をもち賞賛して通り過ぎよう。

なぜなら私はこの土地が気に入ってしまったのだから。
この土地に骨を埋める覚悟だ。名のない無縁仏として。

異邦人のひとりごと(その1)

仕事でこの土地に来てもう10年以上になる。
このところ長くおしゃべりする人がネィティブの方々なので、自分もつい方言が出る。
でも方言の ”語彙”を使っているだけで、発音とかいろいろ間違っているので、 すぐ他所から来たとわかるらしい。
で、出身地を聞かれる。
それが初対面の人のパターン。

出身地から1000キロ以上遠いとこに来たというので、珍しがられる。
次になぜこんな遠いとこに来たの? と聞かれる。

近頃学習したので、その後も付き合いのある人でなければ、”こっちに親戚がいて”とか 何か、適当にお茶を濁す。

あるいは、”ああ、旦那さんの転勤か何か?”とか向こうが出したヒントにあいまいにうなづいておく。

女が自分の仕事を得るためにわざわざ都市から地方に移るのは、かなり珍しい事態なのだと、 学んだ。


この小さな街では、みな3代遡れる付き合いらしい。
そんなコミュニティに他所からぽんと入って来て、そこの活動に混ぜてもらうには、そういう3代 遡れる身元のはっきりした誰かに怪しいものじゃない、と保証してもらう必要がある。
直接保証してもらわなくとも、そこの人々の知っている誰かの名前を挙げると、安心してもらえる。

そうしてそこで一緒に5年活動しても、名前を覚えてもらえないことがしばしばだ。
”〇〇から来た””〇〇さんの知り合いの”という修飾語だけで呼ばれる。

多分、このコミュニティの中の誰かと結婚して子供を生んだら、初めて私自身が一員と認められるだろう。それまでは20年でも30年でも ”異邦人”で ”お客さん”なのだ。
いや、違うな。
私の子供は一員かもしれないが、私はずっと ”〇〇の嫁”と呼ばれ、いつか実家に帰る客人、ビザを 持つ異分子として扱われるのだろうと思う。

そういう状態に慣れたけれど、時々ちょっと寂しい。

2009年7月17日金曜日

フォトアルバム

ここのIDで登録できたので、ウェブ・アルバムなるものを作ってみた。
世界中のいろんな風景が見られるのが魅力です。

私はとりあえず植物園巡りの写真。

だんだん増やしていきます。